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大野智 TB引用 年譜 1980年11月26日 午前9時7分 東京都三鷹市で生まれる 1994年10月16日 ジャニーズ事務所入所 1994年11月2日 TOKIOの日本武道館コンサートで初仕事 1997年- 1998年 舞台「ジャニーズ・ファンタジー KYO TO KYO」出演のため京都に滞在 1999年9月15日 嵐でデビュー 1999年11月2日 テレビ番組内でリーダーに決まる 1999年11月3日 「A・RA・SHI」でCDデビュー 2001年1月9日 ジャニーズ事務所の成人式のイベントで、明治神宮に参拝 岡田准一(V6)とふたりで参加。立会人に城島茂(TOKIO) 2002年2月4日 舞台「青木さん家の奥さん」初主演 2002年10月1日 ラジオ「ARASHI DISCOVERY」でラジオパーソナリティ開始 2002年12月 嵐限定ユニット、大宮SK結成 2004年 映画「ピカ☆☆ンチ LIFE IS HARDだからHAPPY 」で初主演 2004年 24時間テレビでTシャツのデザインを手がける 2006年1月29日 初のソロコンサートを開催 2008年2月8日アート写真集「FREESTYLE」を発売 2008年2月21日〜29日 表参道ヒルズで個展「FREESTYLE」を開催 参加ユニット ジャニーズJr期は下記のジャニーズJr期参加ユニットを参照 嵐 大宮SK 人物 デビューまで リズム感のよさを社長のジャニー喜多川氏に認められジャニーズ事務所に入所。 ジュニア内で歌が上手く、ダンスも先輩たちのバックダンサーを務める頃には「新人Jr.は大野の後ろで踊れ」と言われたほどの実力の持ち主で、自身も踊りを極めたいという思いから舞台を中心に活動していく。 1997年から2年間、よりダンスを極めたいという思いから実家を離れ京都に滞在し、一日5公演ある舞台に出演しながらダンスの技術を磨く。 1998年の舞台終了後、共演していたプロダンサーからプロに転向するように勧められるも、踊りには満足したという理由から事務所に辞意を伝える。しかし社長に上手くかわされ堂本光一の舞台「MASK」、少年隊の「PLAY ZONE」に出演させられる。その後、改めて社長に辞意を伝えたところ、今度はレコーディングの手伝いを頼まれ、手伝いならばと歌ったのが嵐のデビュー曲「A・RA・SHI」で、その収録の一週間後、社長に遊びに行くといわれ誘われるままについて行ったハワイで嵐のデビュー会見が行われた。 デビュー曲「A・RA・SHI」ではメロディとラップの両方のレコーディングを行っており、収録後に「メロとラップ、どっちがいい?」と聞かれ、「メロ(ラップはそれまで歌ったことがなかったため)」と答えたためメロディ担当となった。 V6の年少組Coming Centuryの曲もレコーディングしている。社長にバレーボールはできるかと聞かれたが、デビューすることに興味がなかった大野は「嫌な予感がした」ためそれを否定し、V6入りはなくなった。 デビュー直後 ジャニーズ事務所を辞めるつもりでいたときに強引にデビューさせられたことに加えて、睡眠時間が30分〜1時間しかとれない日が1ヶ月以上続いたことから、本気で逃げ出そうとしていた。 歌・ダンス 嵐のダンスリーダーかつ、嵐のメインボーカル。 伸びやかな歌声とリズム感のよさが持ち味で、得意の高音を活かしてフェイクも担当。 抜群の運動神経とリズム感を持ちあわせ、ストイックで重力を感じさせない細かいステップとキレのあるダンスを踊る。 ジャズダンスをはじめ、ロッキングやカポエィラなどのストリートダンス、ジャグリング、殺陣、アクロバットなどダンスの幅が広く多彩なため、嵐のコンサートでは、曲の振り付けも手がける。(振り付けた曲は下記の音楽活動を参照) 歌、ダンス、存在のすべてで嵐の要。そのため、大野を尊敬しているデビュー組やジュニアが数多く存在する。 リーダー 嵐のリーダー。 [少年隊の冠番組「少年隊夢」内で櫻井翔とじゃんけんをした結果リーダーに決まった(他のメンバー全員が大野をリーダーに推薦したが、大野だけが櫻井翔を推薦したためじゃんけんに至った。なお、じゃんけん自体は大野が勝ったのだが、櫻井が「勝ったから大野がリーダー」と言い、そのノリで大野がリーダーという雰囲気になってしまい、断ることができなかった)。 リーダーが決定するまでは大野智がダンスリーダー、櫻井翔が勉強リーダー、松本潤がお笑いリーダー、二宮和也が芝居リーダー、相葉雅紀がアイドルリーダーと分担制だった。 そんな経緯からか、本人はリーダーは愛称であると発言している。実際、表立ってリーダー然とした言動を特に取ることはないが、メンバー曰く「背中で引っ張っていくタイプ」の大野は、「嵐の精神的支柱」(櫻井翔談)となっている。二宮曰く「リーダーシップを発揮する人が必ずしもリーダーとは限らない」。 性格 温厚な性格で怒ることがない。嵐ではほのぼのとした天然癒し系キャラクター。 ざっくりとした性格で、物事にあまり動じない。コンサートでは緊張したことがない。 好奇心旺盛。飾らない性格でいつも自然体。 歌や踊りに関しては完璧主義者で、普段の柔らかな言動と舞台上での激しい動きにギャップがある。 人に優しく自分に厳しい性格で、メンバーからは絶大な信頼と人気を得ている。 「才能の人」、「(芸事に対して)極度に自分に厳しい人」、「嵐における彼の力は絶大」、「嵐の精神的支柱」(櫻井翔談) 「俺に対して何をしても何でも許せる気がする」、「(踊りも性格も)無重力」、「かわいい」(相葉雅紀談) 「何やってもうまい」、「基本的に可愛い」、「才能がある」、「動体視力が半端じゃない」 (二宮和也談) 「自分の体をよく知ってる」、「水のように流れるイメージ」、「(才能があるのに控えめな性格など存在全てが)超レア」「(嵐の)安定剤」(松本潤談) 世評 歌番組「HEY!HEY!HEY!」の中で小倉智昭から、独立独歩でマイペース、歌や踊りが上手く絵を書かせたらいい感性を持っている天才肌だと評された。 舞台で共演したことのある松岡昌宏(TOKIO)からは、「芸事に取り組む姿勢はまじめで幅の広い役者」だと評されている。 映画「黄色い涙」の犬童一心監督からは、「嵐のゆとりを作っているのが大野くん」、「欲のない感じがみんなをほっとさせている」、「今度生まれ変わるとしたら大野くん」、「幅の広い役者」と評された。 2004年にメインパーソナリティを務めた「24時間テレビ」では、番組のTシャツのデザインを手がけた。構想に一週間かかったが作業時間は30分で終わったという。その際、日本におけるTシャツ製造の草分け久米繊維の三代目でTシャツコレクターでもある久米信行に「驚き、深く感銘を受けた」、「ガツンと頭を叩かれた気がした」と評された。 芸術 友達の影響で小学校3年生のころから絵を描き始め、中学2年生でジャニーズ事務所に入所しダンスに熱中する一方で、イラストレーターになることを夢見て絵を描き続ける。 立体表現・ペインティング・ドローイング・グラフィティ・スチールカメラなどの趣味を持ち、公式携帯サイトではイラストを公開するなどアートに造詣が深い。 イラストレーターになりたいという思いから、デビュー前に2回、デビュー後に1回、事務所の社長に辞意を伝えたが、そのたびにうまくかわされたため、現在は芸能活動と並行して創作活動を続ける。 1999年に嵐としてデビュー後、2002年によりリアルなのものを求めて立体表現に興味が広がりフィギュア作成を始める。 20世紀の米画家ノーマン・ロックウェルや江戸時代の京都の絵師・伊藤若沖にあこがれるが、すべて独学。 2006年末、主演舞台「転生薫風」の上演時に、事務所幹部に「個展を開きたい」と自ら申し出、2008年2月、総合セルフプロデュースで個展を開催し成功をおさめた。 2008年2月8日、大野がデビュー前から10年にわたり制作してきたアート作品を収めた写真集「FREESTYLE」を発表。 写真集の出版を記念してジャニーズ初の個展を東京・表参道ヒルズ内の「スペースO(オー)」(約450平方メートル)で2008年2月21日から29日まで9日間、入場無料で開催。 個展では、写真集に掲載されたフィギュア約100点と絵画約20点、写真集の表紙にもなった自身の顔の実寸大でかたどった金色のオブジェや廃材を利用したロボット=「ガマドン」、自身の手とつま先を実寸大でかたどった手足をくっつけた椅子、自前の一眼レフカメラで撮影した作品スチールやメーキングの様子、自身の体を使ったカラフルな衣装を身に着けた写真、などに加えて個展用に創作したグラフィティ(縦3メートル×横6メートル)など約200点を展示。 個展を開くのはジャニーズで初であり、また芸能界においても現役タレントがここまで大規模な個展を開催するのは異例中の異例としてメディアに大きく取り上げられた。 映画・ドラマ もともと演技には定評があるものの、根っからの舞台人のためテレビドラマや映画に出演することはほとんどない。そのため、事務所側から受けるように言われた「3年B組金八先生」のオーディションも受けずに断ったという経緯がある。 映画「黄色い涙」 オリジナルサウンドトラックに収録されている「もどり雨」では、メンバーの中で唯一大野だけが自分の演じた役柄のイメージにあわせてレコーディングを行っている。これは、スタッフから要望されたために行ったことなのだが、収録後に出来上がった歌を聞いてみたところ、他のメンバーは普段と全く同じように歌っていたたため、結果、大野だけが本来とは違う声や歌い方で収録されることとなった。 犬童一心監督からはコメディリリーフとしての才能を高く評価され、もう一度、自分の作品に出演して欲しいといわれている。 大野が演じた画家の下川圭が書いた手紙や絵の裏に書かれた字などはすべて本人の直筆が使われており、劇中にでてくる油絵やデッサンなども大野が自ら手を加えたものが使用されている。 歌番組 うたばん 司会を務める事務所の先輩である中居正広(SMAP)に対し、大野が反抗的な態度で暴言を吐き(司会のとんねるずの石橋貴明が大野に暴言を吹き込む)、それを聞いて切れた中居が大野に襲いかかろうとし、嵐のメンバーと石橋貴明がそれを止めに入るというコントが「うたばん」に出演した際の定番となっている。尚、このコントは「下剋上コント」と呼ばれ、2002年から続く人気のコーナーとなっている。 ミュージックステーション 出演した際には歌の最後の決めポーズで大野だけがメンバーと違う動きをするのが定番となっている。これは、大野が何気なくメンバーと違うポーズで決めた時の曲が大ヒットしたという理由からで、最近では最後のポーズだけではなく曲の振り付けが違う場合もある。 資格 書道4段 5段を取ると師範になれると言われたのだが、「師範になるほどうまくないから」という理由で師範となる一歩手前で辞めた。ペンで書く字も達筆。 テレビ番組「ザ少年倶楽部」では、初代タイトルロゴの題字を担当していた。 日本漢字能力検定7級 テレビ番組「嵐の技ありッ!」の企画で挑戦し合格した。 趣味・特技 釣り スポーツ全般 テレビ番組の紹介でも「運動神経抜群」と紹介されるほど運動能力が抜群に高く、番組の企画で数々のスポーツに挑戦しているが、呑み込みが早く何でも器用にこなしている。 中学時代はバドミントン部に所属し、一時はプロを目指していた。 嵐のメンバーとジェイ・ストームのスタッフでフットサルのチームを組んでいる。 アクロバット アクロバットは、「ジャニーズ・ファンタジー KYO TO KYO」で共演したジャパンアクションエンタープライズ(当時のJAC)から直伝に教わった。 技の中でも特に難しいとされている側宙を得意とする。 エピソード 振付師のSANCHEの指導は厳しいことで有名で、メンバー曰く、みんな一度は必ず泣かされるのだが、大野だけは未だに怒られたことがない。 2006年のソロコンサートの間、成功を祈って肉断ちをしていたのだが、一緒にツアーを回ってくれているジュニアのM.A.D.を気遣って名古屋で焼肉屋に連れて行った。 同期入所の町田慎吾(Musical Academy)とは大親友で、2006年の誕生日に、町田とまったくおそろいの帽子をプレゼントされたことがある。 Hey! Say! JUMPの知念侑李の憧れの人として雑誌やテレビに大野の名前が出てくることが特に多い。 SMAP SMAPのコンサートに出演した際、MCの間に楽屋で寝てしまい、気がついたらコンサートは終わっていた。 中居正広から貰ったTシャツをずっと愛用している。 V6 社長から、井ノ原快彦(V6)に似ていると言われたが、当時ジャニーズ事務所に入所したばかりだったため井ノ原のことを知らなかった。ちなみに井ノ原のことは「いのっち」、「兄(あん)ちゃん」と呼んでジュニアの時はいつも一緒にいた。 TOKIO 国分太一(TOKIO)と番組で共演した際、ジュニア時代は堂本光一に似ていたと言われた。自身もその当時よく間違えられたと発言しており、実の姉にも堂本光一と間違えられたことがある。 松岡昌宏(TOKIO)や相葉雅紀とカラオケに行った際、相葉がTOKIOの花唄を歌っている最中に、松岡に向かって「松兄(まつにい)これ誰の曲?」と聞いてしまい、それにキレた松岡は大野にではなく歌っていた相葉に「ちゃんと教えておけ」と蹴りをいれた(二宮曰く「松岡くんは好きな人には手を出さないから」)。ちなみに大野は、相葉が叫ぶように歌っていたのでわからなかったのだと弁解している。 Jr.時代は滝沢秀明とよく一緒に帰っていた。 2007年4月に行われた嵐のドーム公演の時に、マネージャー経由で今井翼から携帯電話のアドレスを手渡され、その後連絡を取り合うようになった。 |
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